アニメ、「さよなら、ララ」を見終えたので軽く感想を書く。面白かったですよ。

本当の愛って何だろう

この話は人魚姫のララが現在の滋賀県で「本当の愛」を探す物語だ。

ララは人間の世界に憧れて、しかし童話の人魚姫のように『人間の王子と付き合っていたが人魚ということがバレてしまい、醜い姿と罵られ泡となって消えて』いた。

だが魔女グレイスの計らいにより再び人魚…いや人間の姿となって目覚める。滋賀で。

………ヨーロッパの海底っぽいところに住んでいた人魚達がなぜ日本の内陸にある琵琶湖に………?と思うけど、元々琵琶湖を舞台にアニメを作りたかったらしいから、この辺りは制作側の都合も含むらしい。

あと作劇としても琵琶湖はあるモチーフになっていると思っている。その話は後。

ララは人間の世界で暮らす内に自分が本当に知りたかったのは人間という…人魚と姿が異なる、見えるものも異なる、けれど心は似通っている人間を知りたかった事に気がつく。

その事に気が付かせたのは、ずっとララを見守っていた茉里だった。茉里はボクシングをやっていて、母親の影響もあり「大事なことからは目を逸らしたらあかん」と思っている。

ララに最初の人間の世界で生きていくための場所を与えたのは茉里。なぜか? 「アホで見てておもろい」から。

これは相手のことを信用できると考えたから出てきた言葉だろう。誰だって見知らぬ…しかも変な人間を、家という個人の領域に入れる事には警戒を持つ。

それを踏まえると、茉里はララを見て「信用して」、(家にあげてもええかな?)と思ったのだろう。もちろん何もないララを不憫に思ったというのもあるかもしれないが。

ララはこの時、心に強い衝撃を受ける。その事は映像として描写される。言葉ではない。

これはララの姉であるリサが言っていたように、「人間は言葉で、人魚は光を見る事」で想いを感じることの表現だろう。

また、魔女であるグレイスは力の消耗を抑えるために熱帯魚へ姿を変えていたが、そんなグレイスを「ゴンちゃん」として拾い、居場所を与えたのも茉里だ。

グレイスはララのように人間の世界に憧れ、人間に裏切られ、しかも愛した人間の魂を自分の意思に反して奪い取ってしまう。そのようなことをしたグレイスをも茉里は(その事は最後になるまで知らなかったけれど)受け入れていた。

物語の最後、「愛するものを刺し貫く事がどうしてもできない」から琵琶湖で心中しようとしたララを茉里が追いかけたのは何故か?それは茉里にとってララの「アホで明るくておもろいところ」が茉里にとっても「居場所」となっていたからだろう。

茉里はボクシング一筋で、不器用な子だった。中学時代のボクシングの成績が良かった事から練習内容が1年生なのに2・3年と同じ事をやらせてもらっていて、その事を疎んでいた先輩と仲は良くなかった。

しかしララとの関わりから少しずつその関係は変わっていく。自分の気持ちを正直に伝えて、先輩から可愛くないやつと言われつつも部活のみんなに認められるようになっていく。

もちろんララとも仲を深めていく。ララが探す「本当の愛」を探す事へ付き合っていくうちに「アホなやつ」から「アホで明るくておもろいとこが良かってん」と思うほどに。

この作品でいうところの「本当の愛」というのは 恋愛という枠組みではなく、「誰かにとっての居場所になれること」という事なんだろうな と思った。

その関係は確かに一般的な恋愛が一番簡単に捉えられるけれど、男女ではなくあえてララと茉里の関係を通して描く事で 「互いに心地よい居場所を与えられる関係」 を強く描きたいのだろうな、と思った。

また、茉里の母親が牧師をやっていた、というのはキリスト教のアガペー(隣人愛)も関係しているのかもしれない。この言葉は打算的ではなく、相手を思いやるということを説いている言葉だと解釈しているが、茉里とララの関係も同様に相手を思いやっている。

それは行動(茉里がずぶ濡れのララにココアを渡したり、事情で離れていたララが茉里の最終戦の試合を知らされてそれを見に行くために力を使ったり)や言葉で表現されている。

ララが最後に茉里の魂を自らの心から取り戻すところも、そうした関係を表しているように思う。愛した相手の全てが欲しい、だけど傷つきたくない……だから心を奪う。それも愛の一つの形だ。だけど、それはグレイスの過去から…奪い取るだけの愛はダメだと表現されている。

実際、ララは自分が愛するものは茉里だと自覚していたし、一度茉里の魂を奪い取ってしまっている。だけれど、また茉里に会いたいと思った彼女は自らの恐怖心を、人間との触れ合いで起こる傷つく感情を知っていたとしても、自分の心から茉里の魂を取り戻し、茉里へ返す。

また人間に、茉里に会いたい。その気持ちはおそらく茉里にも届いたと思う。

茉里を助け、人魚達を救う光を皆に与えたララは「他の人魚達はまだ人間を憎んでいる、だけど自分は人間の良い面も悪い面も知っていて、それでも人間をもっと知りたい、そして他の人魚にも人間を知って欲しい」と決意する。

そのためには、滋賀だけには居られない。

さて、ラストのシーン。物語というのは(特にこの話は人魚姫がモチーフなのだから)終わりがやってくる。

茉里は滋賀からボクシングのプロを目指し、ララは神戸方面に向かう。人間の事をもっと知るために。

ララが向かう場所が東京でも京都でもなく、神戸方面芦屋行きなのは、ララが物語中で話した「茉里がボクシングのプロになるなら、私は美味しいケーキを作るわ!」という言葉からだろう。

神戸はねぇ、近畿だと洋菓子のメッカなんでね…中央区に引くほどあるんだよなぁ…洋菓子店。もちろん芦屋にもたくさんある。

そして何より神戸には瀬戸内海がある。琵琶湖より大きな「海」だけど「大洋」とは直接面していない「海」。

これはララが確かに一歩を踏み出したけどその一歩は、まだ大きなものではない事を表しているんじゃないかと思う。瀬戸内海は四方を陸地に囲まれている場所で大洋と面している太平洋と比べると穏やかな海だ。

人間の事をもっと知りたいと自覚して、だけどいきなりもっと大きな世界に飛び出す事はできない。でも確かに外に出たその一歩として「琵琶湖よりは大きくて太平洋よりは小さい海がある」「神戸方面」が選ばれたんじゃないかと思う。あとやっぱケーキ屋多いからかなぁ……。知らんけど。

あ、滋賀県大津市から西に出る電車の最終駅が芦屋しかないのかは知らない。それやったら上の話は忘れとってな。僕のただの妄想やんか。

……この話を見ようと思ったきっかけは「絵柄が…平成すぎる…!」と思ったからだけど、見られてよかったと思う。

この先、ララと茉里がどうなるかは分からない。茉里は最後、電車に乗って遠くへ行くララを走って追いかけて、それでも黙って見送る。ここでも茉里はララを見守っている。それは多分、お互いを信用しているからだろう。茉里はララの居場所でもあり、ララは茉里の居場所でもある。そんな2人の間に「言葉」はいらない。

私はいつかボクシングのプロになった茉里にケーキを持ってきてお祝いをするララを見たいと思う。

あと個人的に「ゴンちゃん」として可愛がられてたグレイスをもうちょい見たかったですね…茉里はゴンちゃんが喋る事を家族にも黙っていた。茉里自身、好きなものはボクシングとペットのゴンちゃんとも言っていた。グレイスが弱った時はすぐに水槽の様子を確かめて治療をしようとしていた。

子供の頃からずっと茉里がゴンちゃんに何か会話していたシーンが回想でできた時は「グレイスさまぁっ!!!」って家臣の気持ちで叫びそうになったぞ。

ゴンちゃんかっこええなぁ!って言われてるグレイス様見たい…見たくない?まぁグレイスからしたら子犬が戯れてるようなものかもしれないけれど。

リサとコウタの関係も好きだなぁ。「コウタは何でも見つけるのが得意なのよ」と話していたリサに「そんな僕を最初に見つけてくれたのはリサ様です」とリサを助けながら返すのはグッとくる。この2人もお互いを想いやる関係で、お互いの居場所になっていたんだなぁ…2人でまた海を泳いでいて欲しいものです。

世界がもし優しいなら

私はこのアニメのED曲が好きなので、このアニメのED曲にも少し触れておこうと思う。(むしろこれがきっかけでアニメの続きをみようと思った)。

ララは他の人魚達から「本当の愛を早く見つけて助けて欲しい」と急かされ、かといってララにとっての「本当の愛」が何なのかララ自身にも分からない状態だった。

人魚達が王国から琵琶湖に移動する事になってしまった責任はララにもあるのだけど、かといって1人の少女にその責任を、選ばれたプリンセスだからと背負わせるのは酷に思える。

そんな中で、このアニメのED…「Hearts_Glow」では「私は私自身でありたい」「私の光はきっと誰かを照らす光」と歌っている。

これは自分が自分であるための環境を受け取って、そうして他の人にも手を差し伸べる…幸せというか、優しさを他の誰かに連鎖させられたらいいと歌っているんじゃないかな。

実際ララも「他の人魚にも、人間の良いところも知って欲しい」と話している。いつか人魚たちにも人間を分かってもらいたくて。

だがララがそのように判断できたのは、ララに自分でいても良いと思える居場所があったからだ。茉里が、茉里の家族が、ルカや友達やバイト先の人たちが与えてくれた居場所があったからこそ、「私自身の夢を追いかけられた」のだろう。

つまり… 周囲の環境が優しくなければ、私たちは私たちらしく生きていく事はできない。 個性なんか二の次になってしまう。

そのような環境ではない、自分が自分らしくいられる場所を「私たち現実に生きた人間」も作られるはずで、そのような環境を…もっと小さな範囲でも、お互いに誰かの居場所を作る事をできたらいいな、と思う。

そうはいってもシステムにはキレるのか…(呆れ)

以下、アマプラに対して文句を書き散らすので、まあ。すいません。

ちなみに悪いのはアマプラじゃなくて私です。設定をちゃんと見直せば回避できたと思う。

……アマプラで連続した映像作品を1日に続けて見るのは久しぶりだったし、そもそも映像を見るのは移動中が多かった。それにCM入りを回避するために(CMの挿入位置もなんかおかしいので)今までアマプラの作品はDLしてから見ていた。

だから設定を見直すことに気が付けなかった。

というわけでこれは私の落ち度。なので、以下の文はアホが何かわめいているな…って感じで捉えてもらえたら...。


あんな、なんで?なんで勝手に次の話に移動やらOPやらをスキップさせようとすんの?アホなん?いや、バカなん?

や、アマプラ側の考えも理解できんこともないよ?

OPEDカットして、サクサク見られたほうが作品を見てもらえる、作品を見てもらえたらその分お金が発生する。

だからサクサク作品がみられるよぉにしとんやろ?ビジネスモデルとしては正解やな、そりゃ。

でもなぁ!よりにもよって...最終回でそれする??頭おかしいんか??

最終回っていうのはなんだって余韻ってもんがあるんや。

そもそも作品ってのは、その話が終わった後の気持ちの整理とか、感傷に浸って、そっから、水から上がって息を整えるように現実へ戻るための余韻が必要やんか。

それを何?別のアニメを勝手に再生するんは何?頭逝かれてんのかお前!

何度でも書くけどな、物語には余韻が必要なん。つまらない話でも、面白い話でも、それを咀嚼して整理する時間。

物語の世界から現実の世界に戻るための大切な時間。それを?ビジネスのためにい?取り上げるんかお前は!

ほんっまにアホやなぁ!いやわかっとんよ?理解できんで?ビジネスやもんな。

それに私だってアマプラになかったらこの物語と出会ってへんわ。そこは感謝してる。

もうテレビみいへんもん。夜は寝なあかん。それは病気のせいもある。

アニメ、ちゃんと見たの、この話ともういっこ継続して見てるやつくらいやしなぁ...。

それを差し引いても、最終回の最後のシーン、具体的には再生時間が終わったら?全く別の作品を?ユーザーの承諾を挟む間もなく流す?????

気い狂っとんかお前は!!余韻ぶち壊しや!ほんま...というか設定で切ったと思うんやけど。自動再生切ったと思うんやけど!

僕はなぁ、余韻に浸りたかったのになんで(あっ、自動再生止めな..)ってシステム如きに現実へ引きずり出されなあかんねん。

しかもバツマークの判定狭ない???いや僕の指が太いだけか?誤タップ狙いなん??

作品のことなんやと思ってんの。そんなんやから作品をただただコンテンツとしてしか消費できんようになってまうんちゃうか!


以上。お粗末様でした。

あ、方言は地元のものではないと思います。というか、私自身、人とのかかわりが狭いから地元の方言がよくわからないので。

.....アニメで得た教訓..数秒で忘れているみたいですね....?

まぁ僕はシステムについて、特にEvilなものには怒るほうなので..。うん....。

そんな感じです。面白かったのでBDを買おうと思う。