今日、F&H2の新システムのテストの動画がアップロードされていた。

それについて色々と考えや楽しみがあったけれど、興奮が引くと、一気に燻っていた焦燥感に火がついたように体の中で暴れ始めた。

喉が詰まり、胸がつかえ、思考だけが暴れ回り、手先は震え痺れ出す。

離れた位置の言葉すら鮮明に拾い始め、集中力が乱される。そうかと思えば思考の一部は固まったり、同じことを馬鹿のように繰り返し繰り返し考え始めたりする。

…実のところここ数日あまり調子が良くなかったのだけれど、それが興奮という刺激に感化されて、脳内の発火が激しくなったらしい。

あともう一つ影響がありそうなことは思いついているけど、それも脳内の発火だろうから別にいいか。

…最初はF&H2の更新予定内容について考察して最後に「衝撃的なことがあれば一時的な鬱症状も流されるなら、拘束イベントで3日目以降になってもオリヴィアが生き延びてるのはそういうことか〜」と書くつもりだったけど、そうはできなかった。

なんで3日目以降にオリヴィアが生きていることに驚いているかはF&H2を遊んでください。遊べ。

それでまぁ、結構つらい状態が続いているので元から書く予定だったことについて書くことにする。


私たちは普段、自分を指す時に様々な言葉を用いて表現する。これは日本語の特徴でもある。もしかしたら他の言語でも、1人称の区別はあるのかもしれないけれど、少なくとも英語圏だと自信を指す言葉はIかTheyじゃないだろうか。

日本語はやたらと1人称が多い。私、僕、俺、某、我…。そしてそれぞれに役割のようなものが付与されている。

私であれば公的な場所でも私的な場所でもつかえるけれど、俺は私的な場じゃないと使えないと言った風に。

そして一人称には性格のようなものも付与されている。俺と話す人がいれば、どこか自信があったり粗暴な面があるのだろうかとか、相手より力があることを示しているだろうとか、そういったもの。

私は今のところ3種類の1人称を使っている。

私、僕、自分の3種類だ。

何か違いをつけているのだろうかと考えると、以下のような使い分けをしているのではないか、と考えた。

私:公的な場での会話や何かを主張する時に使っている…と思う。私的な会話もこれが多い。無難だからだ。

僕:これは脳内の考えや文章の中でしか存在していない。つまりインターネットや日記の中でしか登場しない。非常に内省的な雰囲気がある。

自分:誰かと意見の対比や同調をする時に使う気がする。自分はこう考えるかな、と言った具合に。

ここで僕という一人称が出てくるのは、少し奇妙な感じだ。俺ではない。少なくとも俺ではないな。僕がなんとなくしっくりくる。だから、まぁ僕は僕を使って、俺をあまり使わない。俺はネット構文で使っている…と思う。

ところで私は僕という言葉に、内省的という意味以外を持ち合わせていないのだけれど、しかし僕という言葉には性別という色も付いてくる。

さて、私は根っからの匿名インターネット文化に染まっていて、アカウントの名前をつけることすら拒絶しているくらい名前というものを嫌っている。

思うに、僕の、私自身の名前があまり好きじゃないというのも関係しているのだと思う。そして名前が好きじゃないという理由もまた、生存しているという唾棄したい現実を否が応でも突きつけられるからだろうと思う。

この唾棄したいという感覚に何か意味が、つまり根拠となるようなことがあるのか、と言われれば病気だからでしょ。という身もふたもない話になってしまうけど。

まぁとにかく終わらせられるならさっさと終わった方がいいと思っているけれど、その発想自体も脳の発火によるバグだとも言える。

そうだとすれば今、思考している僕は、私は、いったい全体何なのだろう。僕を一人称に選んだ私はいったいなんなのだろう。

脳神経ネットワークは人によって異なるだろうから、自分と人との違いは遺伝子による身体的な特徴の違いと、脳神経ネットワークの違いしかないのだろうか。

それを結論づけるには全く知識が足りていない。僕は僕自身を知りたいし、そのためには脳や心理学、生物学を知るしかない。

そうして何か納得のいく答えが見つかればいいのだけれど。

…ここまで読んで「人との関わりとか…持ち合わせていらっしゃらないのですか?」と気がついた人は正解だ。

人間はどこまで行っても社会的な生き物であって、社会的な交流の上に自らの性格を形作ると言える。

そして交流という形で自己の認識を形づくり、自己を承認して、自己存在を確立する。自分について悩むより、将来のことや他のことを考えるようになる。

…それができるのならそうした方がずっといいと思うけど、いまだ最終的な目標がここから居なくなる、な人間が他者とのコミュニケーションを取るかと言われると、取らないでしょ。

他者との関わりを絶てば、居なくなった時のコストが減るからね。

……そのせいで病気がひどくなっているんじゃないですかね……?

うん、僕もそう思うよ。

そんな取り止めのない話。僕がどうなっていくは知らない。分かりようがない。良くなるのかも悪くなるのかも、結局のところ何かしたいという欲求があってそうして行動する先にあるだろうし。

配られたカードで勝負しよう、それでいいじゃないか、そう思えるようになれば、アガリかもしれない。