(一部ネタバレあり)Milk outside a bag of milk outside a bag of milkの感想
Milk outside a bag of milk outside a bag of milkをクリアした。
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| 主人公の少女。「ミルクの袋の外側」なのでビジュアルがついている。 |
最初は前作のように考察交じりの感想を書いていこうかと思ったけど、今作は前作よりも内容が少し複雑になっていたので先にゲームとしての感想を書いておくことにした。
…だって考察を行っていく上でロシアの平均身長だとか建築だとか、ある種の疾病に対する対処法だとかについて調べないといけなくて、それらに対するソースも併記しないとだしで…とにかく私がうまくまとめ切れるかどうか自信が無い。
そもそも少女が語る内容自体、前作の「Milk inside a bag of milk inside a bag of milk」での描写から考えると、どこまでが本当でどこまでが彼女自身が生み出した妄想なのかすら曖昧だ。それらを基盤にして考察を行うっていうのは、不安定な足場を元に塔を積み上げていくようなもので…なんだか自分勝手じゃない?それに私はカウンセラーじゃないのだから脅迫的な妄想を抱いた人間がどのような思考になるのかどうか自分の体験と照らし合わせて何とか「わかったつもり」になるしかできなくて他人の人生(ここではゲームのキャラクターだけど)をただの一側面から見て分かったつもりで書くなんて少しばかり傲慢なんじゃないかそうそれは社会的に属する場所で他人のことを「完全に理解できる」ことなんてあり得ないのと一緒で…どれだけ会話によって「私の脳の中にある他人のイメージ」と「他人の脳の中にあるその人自身のイメージ」をすり合わせてもその結果を読み解くのは結局自分の人生観に左右されるのだから「自己の持つイメージと他者の持つイメージ」は食い違ってしまう詰まるところ「私が考えた少女のストーリー」に正当性は無くて「私の妄想による少女のストーリー」となるのだからそれらを記述していくことに果たして何の意味があるのだろう…
(…話がだいぶ脱線しているよ。修正しよう。)
じゃあこの記事はどうしようか…
ゲーム体験について書いていくのがいいだろう。うん!それがいい。
良かったところ
ビジュアルの追加
前作の「Milk inside a bag of milk inside a bag of milk」では、プレイヤーは少女の内面に発生した意識という立場に置かれている。これは今作も同様なのだけど、前作と異なりプレイヤーは主人公の「外見」を見られるようになっている。
主人公の表情はプレイヤーの選択肢やあるいは彼女自身の話の中で変化していって結構可愛い。
退廃的なBGMとインターフェースがゲームの雰囲気とマッチしている
このゲームでは前作より多くのBGMを聞くことができるのだが、そのどれも薄暗くてゲームの雰囲気と非常に合っていた。またインターフェースも前作と引き続き単色が用いられており、特に前作の「あの出来事から世界がこう(赤色)見えるようになったの」という少女の供述通り、画面全体に赤い色が使われている。このため「少女の視点で今部屋を見ている」というのが強く印象に残り、より没入感が増していると感じた。
選択肢によるゲームオーバーが無い
今作には選択によるゲームオーバーは存在しない(エンディングの分岐は発生する。後述)。前作では「少女の機嫌を損ねる」ような選択肢を選んだ場合ゲームオーバーとなった。
しかし今作では「選択肢に応じて少女の話す内容は変化する」もののゲームオーバーとなることはないため、周回時に「どれが彼女にとっての地雷発言か」を覚えておく必要がなくなっている。このため、プレイヤーは好きな選択肢を選ぶことができて快適だった。
少女とたくさん(前作比)お喋りできる
前作はミニノベルゲームだったので少女の思考はある程度読めたのだが、それでも文の量としては少なく感じた。
今作では少女の部屋の中にあるオブジェクトを選択することで、少女がそれについてどう感じているのか…あるいはそれに関する思い出話を聞くことができる。それに前作と比べて少女の機嫌が比較的良いせいか(もしくは服用した薬の影響か)文の量が増している、つまり少女とたくさんお喋りができるのだ!前作で興味を惹かれた少女について、ある程度知っていくことができるので楽しい。知ることは人間にとって快楽の一つだからね!
またビジュアルノベルのように選択肢に応じて少女の表情や声音(これは恐らく。もしかしたらBGMに引きずられて声音が変わったように思えたのかもしれない)が変わるので、次はどの選択肢を…どう少女と会話しようか楽しめた。最も選択肢の中には話を切り上げるようなものもあるけれど…。
なお、一度選択したオブジェクトは会話が終了すると再選択できないようになっているため、すべての会話を読むためにはそれなりに周回する必要がある。
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| この画面でセーブすると周回がしやすい |
エンディング条件が緩い
このゲームには5つのエンディングが用意されているのだが、難しい条件は(個人的に一部を除いて)存在しない。大き目のイベントが2つあるのだがそれらをそれぞれ起こすかどうか、思考(ゲーム内ではホタルと表現されている)を集めた数、あるシンボルを調べるかどうかで決まる。
イベントは明らかに分かりやすいタイミングで発生するので、周回時にフラグを立てるかどうか分かりやすいし、ホタルを集める数も最低数か最高数かの違いしかない(と思う)。
何が言いたいのかというと、少女の選択肢についてはイベントの発生トリガーとなるものを除けば好きに選択してよいということで、エンディング条件は緩い方だと感じた。
良くなかった所
セーブが一つしかない
この仕様に気が付いたとき「今時セーブが一つしかないノベルゲームがあるかっ!」と思った。まぁこのゲームは「クリック&ポイントゲーム」(少女がそう決めたしね…)だし、ゲームオーバーも存在しないのでセーブ自体は1つで十分…なのかもしれない。
もしすべてのエンディングを効率よく見ていきたい場合、上述の画面でセーブを行うこと推奨する。まぁ、このゲームの雰囲気的にセーブせずにOPからじっくりやり直す…というのが製作者の狙いのような気がするのだが、この辺りは考察のほうで行いたい。
選択肢までのスキップがない
いわゆる既読スキップという機能はこのゲームには存在しない。そのためOPからやり直すと結構な量のシーンを見ていくことになる。ED回収時に結構な量のシーンを見ることになるので、結構面倒くさいと感じた。
少女に何が起こってこうなったのか?については曖昧なまま
本作は前作「Milk inside a bag of milk inside a bag of milk」の続編にあたる。当然プレイヤーは前作の不明点であった「少女に何が起きたのか?どうして認知があそこまで歪んでしまったのか?」の詳細を知りたくてゲームをプレーするだろう(少なくとも私はそうだ)。
でもこのゲームが提供するのは「少女の歪んだ認知によって生み出された情景とほんの少しの過去話」であって明確な答えは提示されない。つまりこのゲームはプレイヤーに材料だけ手渡して「少女に何が起きたのかは自分で考えて」という作風だ。
少女の話す内容は時に彼女にしかわからないような隠喩が含まれていたり(彼女なりの世界の描写方法なのかもしれないが…)、話がループしたりするのでなかなかに読み解くのは難しい。
特にエンディングはある種の幻想風景を見せられているようなものが多く、比喩的で解釈に困る場面が多く、プレイヤーの考察に丸投げしているような節が見受けられた。(これも恐らくゲームの狙いなのだろうけど…)
一部エンディング条件のクリックポイントが分かりづらい
…まぁ画面中を細かく探索(マウスをそれこそ左上から右下に、行をなぞるように)すれば見つかるけどちょっと小さすぎるぞ…と思った。(これは個人的な恨みですね)
総論
私個人としては、このゲームは結構面白いと思う。それはまぁ、私が退廃的なゲームを好んでいるというのもあるのだろうけど…主人公である少女と「対話」して彼女の思考について考察(妄想?)するのは面白い…興味深い?まぁとにかくこうした「真相は自分で考えて」といったゲームは嫌いじゃない。
それに前作と比べて主人公のビジュアルがついたことで親近感を覚えやすくなったのもいい。ダウナーな(いやダウナーというよりは病的か)ビジュアルの子っていいよね…。特に目に光が入っていないのがいい…。ちなみにSteam上では「Milkちゃん」と呼ばれているようだ。
彼女が抱えている問題も周回して考えるうちに自分でもある程度理解でき、また誰もが持ち合わせうる問題も含まれていると分かったのも面白かった。自己の理解には他人との会話も時に必要で、それは少女が第3者の目線としてプレイヤーを作ったように…ゲームという媒体を糧に思索にふけることでも、ふと「自身にもそういうことはあるんじゃないか?(少女よりひどい状態じゃなくても)」と思えたのは良いことなんじゃないか…。その共感がもしかしたら現実の人間との共感に役に立つのかもしれないのだから…。
ただ、まぁ1~2時間位のボリュームのゲームで980円するので、前作が気に入ったのなら購入してみてはいかがだろうか。あと前作よりちょっとホラー表現が増してる気がしますので、ホラー描写が苦手な方はご注意ください。
…Steamのゲーム紹介文には「『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』の続編。もう一度認知の狂った世界に入って少女を少しでも幸せにしてあげよう。」と記載されているが、私は少女を「少しでも」幸せにできたのだろうか。それは私にはわからない(幸せかどうかは本人が決めることだから)。
(それじゃあ「また明日」。)









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